1. TOP
  2. job
  3. airport
  4. さようなら羽田

さようなら羽田

|
キャンセルだらけ

去年の6月に某インターネットメディアを辞めた後、web制作の仕事を始めるまでの「つなぎ」のつもりで始めた羽田空港の機内清掃のバイトを、今月いっぱいで辞める。空港の仕事ということでセキュリティー面の問題とかもあって、これまでブログやSNSで書くこともほとんどなかった。しかし、最初はほんの腰掛けのつもりで、結局9ヶ月もお世話になってしまった空港仕事、実はかなり面白かった。

現場は超インターナショナル

仕事自体は、着陸後の飛行機に入って座席を掃除したり備品を整える作業の繰り返し。飛行機の種類によって搭載する備品が変わってくるので、最初のうちは混乱することも多かったが、慣れれば、仕事自体は難しくはない。

現場には、古参の日本人と、スリランカ・中国・モンゴル・フィリピン・韓国などからの多国籍なスタッフが入り混じっている。本社の社員、俺みたいな契約社員と外国人派遣社員、シニアの派遣社員など、待遇もいろいろ。

仕事上の指示などは、外国人スタッフに対しても「日本語が理解できている前提」でオール日本語で行われる。しかし、「暗黙の了解」的な事も多く、日本人でさえも現場で戸惑うことがしょっちゅうある。それなのに「xxxって、さっき言ったよね?」と、「そんな日本語もわからんの?」と言わんばかりに、外国人スタッフに注意する人もいた。

いくら日本語学校で一生懸命勉強して、ある程度日常会話がこなせても、仕事上の指示や「暗黙の了解」的なことを理解するのは、また別問題だ。そんな事に想像力が及ばない日本人は、社員や契約社員を問わず何人かいた。これは、個人の資質の問題というよりは、日本社会の鈍感さ・無神経さを体現しているんだと思う。

休憩室ではワイワイ陽気に騒いでる外国人の仲間だが、現場に出るたび、相当なストレスを感じてるに違いないと思う。そのせいか、ちょっとしたことを英語で(あるいはフィリピンの人にはスペイン語で)話しかけただけで、こっちがびっくりするほど喜ばれることもあった。

新型コロナ、そして派遣切り

1月になると、新型コロナの影響が徐々に出てきた。飛行機が減便され、仕事が暇になった分、一機一機について、普段はやらないような場所もクリーニングするなど。

ただ、事態が全世界でここまで深刻化するとも思ってなかったから、俺などはまだ呑気だった。4月15日に高円寺でやる予定だったライブのフライヤーを、仲良くなった外国人スタッフに渡したり、「自粛するつもりないけど、状況によっては中止にする」の中国語部分を修正してもらったり。実際、何人もがライブに来るのを楽しみにしてくれていた。

※ 結局、もちろんライブは中止となった => 勝つ時だってあるだろう / ライブ中止のお知らせ

3月には、減便がさらに進んだ。「夕方の飛行機がキャンセルになったので…」と、当日になって会社からの時短要請で、早く帰る日が増えた。

キャンセルだらけ

キャンセルだらけ

そして3月下旬のある日、休憩室に何やら緊迫した空気が流れていた。派遣社員の多くが、3月いっぱいで契約を切られる事になったのだという。「1週間前に突然言われても…」と、途方に暮れる中国人やモンゴル人や日本人シニアの友達に、かける言葉もなかった。

日本語学校に行ってないため日本語がまだ苦手で、普段はお互い英語でしゃべっていたモンゴル人Uには、ロッカールームで別れの挨拶ができた。東大医学部大学院で学ぶ医学生の彼は「世界中大変なことになってるんだから、これぐらいどってことないよ」と、笑いながら手を振ってくれた。

無人のターミナル

無人のターミナル

モンゴル語の挨拶を教えてくれたMさんや、「あんた、中国語わかるだから中国に来て仕事したらいいよ」と言ってくれた上海人Rさんや、スリランカ語の挨拶教えてもらうお返しに関西弁を教えたMDとは、シフトの関係で、別れの挨拶することさえできなかった。

これまでは6つあったラインが、4月上旬には3ラインに半減し、ついに2ラインになった。

本音で話せる仲間とは「7月下旬のクソ暑い時にオリンピックなんて、狂ってるよな〜」と話していたが、オリンピックも本当になくなった。(「延期」とか言ってるけど、それはあり得ないと思う。同義的にも現実的にも)

自分はもうすぐ去るが、航空業界の現場の一端を知れた事は本当によかった。ここで出会った人たちのことは忘れないと思う。